2006年5月29日 (月)
2006年5月26日 (金)
平和の白いひげ根
小さな畑のおうち園に連れてきてくださったバンビさんから
また、ステキなお知らせです。
6月10日 横浜市の金沢文庫> ・称妙寺で
「イロコイ文化交流基金支援イベント」が開かれます。
http://newsletter.native-education.net/
このイベントでは、イロコイ連邦のモホーク国の首長 ジェイク・スワンプ氏を迎えてヤマザクラの植樹が予定されています。
イロコイ連邦は、ニューヨークの北にあるオンタリオ湖南側に広がる
先住民の人々が治める国なのだそうです。
モホーク国、オナイダ国、オノンダーガ国、カユーガ国、セネカ国という
5つの国が血を血で洗う乱世だったころ(11世紀後半)、
ピースメーカーという青年が湖の北の方からやって来て、
この5つの国で「兄弟姉妹が殺しあうこともないし、争いの解決にも暴力は必要ないはず」と長い年月をかけて語って歩き、
ついにイロコイ連邦は建国されたそうです(1142年8月31日一説)。
そのとき、ホワイトパイン(五葉松の一種)の木の下に、持ち寄った武器を
すべて投げ入れ、互いに武力で争わないことを誓いあいました。
そこへ一羽のハクトウワシ(白頭鷲)が飛んできて、
木のてっぺんにとまったので、鷲のように遠くを見通せる眼をもって、
平和を脅かす危険を未然に防ごうと、呼びかけます。
そして、さらに見えない地面の下へと思いをめぐらし、
平和の白い根が地球の四方へと伸びていくようすを皆でイメージしたそうです。
それに触れたひとは、地球のどこに居ようとも、どんなに遠くからでも
その根をだどり、空高くそびえる「大いなる平和の樹」を見つけて
平和の木陰に憩うことが出来るだろう、と。
そして、今回、そのような願いをこめてヤマザクラの木が植えられます。
そのヤマザクラはうれしいことに、草木屋から出発していきます。
植樹には行きませんが、どんなに遠くからでも、か細くても、心を寄せ合うことが出来てうれしいです。
木には、身体を支える太い根はもちろんですが、ひげ根もまた大切です。
ひげ根が地面に細やかに伸びて水分や栄養を吸収してくれるそうです。
植樹の日は、すぐにプッツンと切れやすいひげ根でも、すぐに再生していく柔軟なひげ根が 伸びていくところをイメージしようかな(楽)。
2006年5月19日 (金)
2006年5月15日 (月)
心の森 奥深く
いつも週末は盛りだくさんですが、昨日もとりわけ いろんな事がありました。
午前中は、「綾瀬川を愛する会」と近くの公民館の共催で、「綾瀬川土手マップ」の完成記念イベントがあり、川口市在住の埼玉県環境アドバイザーの方のお話をうかがいました。とにかく心底、川や海、植物、魚などを守っていこうとする方々の思いは熱く、その熱気にあたり高熱が出るんじゃないかしらと思うくらいヘトヘトになりました(笑)。午後も見沼の自然クラブに行ったし、たったの一日で こんな情熱の塊のような人たちにいっぺんに出会ったのは初めて、みたいな日でした。運強くハイレベルな学校に合格してしまった高校生のようです。でも一日だけなので、本当にいい体験をさせてもらったようです。ありがとうございます。
まだ30や40代で疲れきっている私たちですが、うんと上の世代の方々のエネルギーは、自分の打ち込むところがあると、全身の細胞からビリビリとした情熱を発するようで、そんな方の隣にたまたま居合わせたりなんかすると、その振動で揺れちゃいそうです! うんとお年を召された方が何かひとこと「こぉんにぃちぃはぁ」などと目を見て言われただけで、涙が出そうになったら、きっと揺れちゃったんですね。
ただ今「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズ(松谷みよこ著)を読んでいます。お話がとってもおもしろくて、小3のブンまで、第一巻目から夢中で聞き入っています。うちでは日本のリンドグレーン(やかまし村を書いた人)と呼び、「やかまし村」と並ぶヒットです! 子供の遊びのようすもさることながら、死神様まで登場したときには、 ベー助も聞き入ってしまったとか。その描写は真に迫っていて、後に登場する森のおばあさんは、ほんとにこんなおばあさんにママは会いに行ったのかしら、と寝しなに思い出すほど。そうして、ふと思うのです。このママを襲った死神と その死神から命を救ってくれた森のおばあさんの 実に的を突いたような表現は、内観をしたとき、「心の森 奥深くに入っていくようす」そのままだと。現実の世界というよりも何よりも、ママは真実の世界へ行ったんですね、自分自身の。
ベー助は、ここずっと、カゼをひいてもすぐ治らない、など今までとは違う不調を感じていて、そんなところへお義兄さん達の不幸もあり、極めつけはべー子の見事な朗読?で、死神のお話をされたものだから、休んでいたにもかかわらず「目を開けなければ、このまま もう目が覚めないかもしれない」と 一生懸命起きたとか。それを聞いて思わず「死ぬときくらい、ゆっくりした気持で死になっせ(熊本弁になってる)」と 不安を超えた新境地発言が出てしまいました(深)。
2006年5月 7日 (日)
カジカガエル
ゴールデンウィーク最後の日は雨でした。今日の雨、晴天が続いたので、身も心も一息つきました。
連休中は高麗川に2回、川遊びに行きました。
川に着くと、フィ、フィ、フィ、フィ、フィ、フィ・・・と、高原の鳥を思わせるきれいな鳴き声。始めは鳥かと思っていましたが、どうも鳴き声が川原や周りの低いところから聞こえて違うようす。そう、これがカジカガエルの鳴き声でした。
2回目に行ったとき、そのカジカガエルを子どもたちが捕まえてくれました。写真は、カジカガエルの雌。目の中まで、模様が入っています。
カジカガエルは、魚のカジカのことではなく、「河鹿蛙」で、その美しい鳴き声を鹿にたとえたそうです。昔からカジカガエルを籠に入れて鳴き声を楽しむ風習があるそうです。指先には吸盤がついていて岩登りは得意そうですが、川に放すと泳ぎは得意な方ではないようでした。
2006年5月 5日 (金)
シャングリラパン
GW中、なんと驚いたことに、とうとう天然酵母のパンを完成させました! 涙なみだです。せっかく買った南部鉄のお鍋で、ご飯さえまともに炊けないのに、パンが、パンが~です。
三度の食事は、ご飯でなければ口の中が腫れてキシュキシュしてしまう方ですが、生来パン好きなのか、おやつは前から、パンをよおっく食べていました。ここ最近は生協の味輝酵母の食パンが何とも好き、マーガリンやハチミツをたっぷりとつけて食べるのもいいし、ただ噛みしめるだけで本当においしー。もし時間があるなら手づくりしてドライイーストパンも とってもとってもとっても美味しい~。ふと振り返ると、それくらいパン好きですから、天然酵母パンが長い長い長~い間の夢だったのも不思議ではありません。といえども、発酵がうまくいかず、ふくらまないまま焼いて食べて、なぜか味噌の味のする「味噌パン」しか出来ませんでした。
そして、3年前、ベー助が挑戦して、やはりもう一歩のところで終わってしまったのを最後に、もう自家製酵母には手をつけていませんでした。ところが、ちょうどおじいちゃんちのテレビで天然酵母パンづくりをしている映像を見てしまい、またまた何だか出来そうな気がしてきました。しかも今回は、ベー助がどこからか小さな電熱器を出してきてくれて、それを丁度あった大きな発砲トレー箱にいれて、立派なホイロ(発酵室)まで揃いましたッ。
いざ、家にあった干しぶどうをビンに入れてクチュクチュさせ、元種エキスづくりの開始(これは、今までよくやった)。そしてついでに、玄米もビンに入れ発芽させ、玄米酵母エキスにも初チャレンジ。そして、そのエキスを水や小麦粉などを入れて増量発酵し酵母に育て、酵母と水と国産小麦粉をこねこねして、ついに昨日、見事なでっかいでっかい、パン屋さんでも見たことないような大きなアンパンを 焼き上げましたッ。そして、これが旨い! 大きいのに全体的にムラなくふくらんで、しかも中身はしっとりと焼けている。小さい頃、父が農業高校で買ってきてくれた生徒さん達の作ったコッペパンに似ている味。とっても大好きだった味。まさか、その味にこんな所で出会うとは、不思議なご縁です。今度は、当時を再現して長丸型のコッペパンスタイルに成型して焼いてみましょう。
植木鉢でつくったインスタント窯は、なかなか230度位を保つのが難しく、ただいま押し入れに眠っていたオーブンを出してきて、朝こねこねしたパン生地を毎晩、夜寝る前に焼いています。電熱器の発酵室やオーブンがなければ、やはり今回も もう一歩のところで断念していたでしょー。天然酵母のパンつくりは、一に温度、二に温度、三四がなくて、五に温度でした。これなら冬でも安定して作れそうです。ずっと前に買った「自家製天然酵母のパンづくり」(自然食通信社)も とっても良かった。自然界に居る小さな微生物の力を借りて、こおんなに膨らむなんて、まるで奇蹟ですね。
寝る前シャングリラ(理想郷)のお話をアンにしてあげたら、「どこにあるの?」と聞かれ、「そこはね、いくらお金があっても身体がじょうぶでも行けないの、奇蹟が次々に起こって、魔法の扉が開くと行けるんだって」と口から出まかせを言うと、「あたしはね、いつもいつもキセキがおこってるよ」と言われてしまいました(笑)。まさに、天然酵母パンつくりは、奇蹟の連続のような行程です。「ここがシャングリラだね~」とふたりでクスクス笑いあったのを思い出します。これは、密かにシャングリラパンと呼びましょう!
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2006年5月 2日 (火)
はたと驚く気持よさ!
昨日は、暖かい一日でした。10日ほど前から補助輪をはずして、自転車乗りの練習に励んでいたアンは、二日前から、スイスイとでこぼこ道をこげるようになりました。我が家には全部もらいものですが、子供用の自転車が数台あります。身体にあった自転車を選んで練習すると、あっという間に乗れるようになるのは、ブンの時からの実証済みです。ただ、もう楽しくて仕方がない、というそれだけで乗れるようになってしまいましたッ。
私は確か、小学校の低学年ころ、お姉ちゃんの自転車(24とかいうサイズだったような)で練習して、両足が地面につかないので、バタンバタンと転んで かなりすり傷を作りました。そのころは、マイカーを持っている人も珍しくて、子供用の自転車なんてとんでもないッ、という感じだったので、いつも自転車に乗るときは、サドルにお尻を乗っけられず三角乗り?をしていましたね。それでも、風をきって走るのは爽快で、ぶつかろうが何しようが自転車競争は格別スリリングで好きでした。今、アンが公園でぐるぐるぐるぐる走っている時の顔は、絶妙のバランスを使いこなせるようになったばかりの喜びと緊張に溢れていて、思わず見とれてしまいます(笑)。
ここのところ、畑仕事に精を出していました。蔓を伸ばして、どこにからみつこうかと思案しているようなキヌサヤに竹の支柱を立てたり、芽の出た大根の顔色をうかがって歩くのは、久々で楽しいです。意外にも とっても楽しかったので、また引っ越すときは、やっぱり自宅の延長上に野菜畑があってほしいと切に思いました。、前みたいに春になると あれもこれもと手をのばしてタネマキに慌てなくなったのは、限られたスペースと時間で作る野菜の種類や量が決まってきたからでしょうか。少しは ゆったりと野菜さんたちのお顔を見れるようになって、すごくうれしかったです。また過程が楽しいと 立派に出来なくてもやるだけやった満足感で、悔いが残らず精神的にも良いですね(笑)。
何しろ、土の上、空の下に居るだけで、はかりしれない開放感で満たされていくんですから、やはり、ひとは、家という身体の外に、庭という心を持って暮らすのが、本来かも。そして、また引っ越す時はもうひとつ、台所も外がいいな。いくら庭があり、畑や里山があっても 私みたいに出不精だと全然出ない日もありますが、厠も寝室も台所も外だと、否が応でも外の空気に触れるわけで、その度に、それだけ素に戻って気持ちいい、傘をささない雨の日のお散歩みたいで、思わず知らず、はたと驚く気持よさです、ほんとに! ただの昔の家みたいだけど究極の贅沢な家です~。
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