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2007年4月30日 (月)

どこをとっても どれだけとっても

「たったひとつの命だから」(地湧社)
とても良かったです。
何の反応も示さない寝たきりのお母さんに読んであげたら、
涙を流して聞いていたという
本を読んだ方の感想文が
とても心に残りました。「おかあさん、聞いているの?」と聞くと、何の反応もないのに、また次のお話しを読むと、また涙を流して聞かれるんだそうです。

本は、
ほとんど読書をしないベー助のほうが
なんと私より先に読んでしまいました。
ただ今、腰痛でムリを出来ないせいもあり、
大変、心に沁みたそうです。
言葉もなく「うーん、うーん」と唸りながら読んでいました。
唸り声を先に聞いたので、何事かと思いました(笑)。
小学校高学年や中学や高校生の子供たちに、
教室で読んであげたくなるような本です。

実は「たったひとつの命」・・・いままでは薄っぺらい響きしか感じなかった言葉です。
命が、ひとつだけだとしたら何てやりきれない、
命は、どこからどこまでが私の命かわからないし、
命は、私の体が死んだときに終わるのだろうか、それとも始まるのだろうか、
幼いころの思いが 深く自分のなかに残っているのです。
ところがどうでしょう、
たくさんの人のたったひとつのお話しを読んでいたら、
あまりにも一つひとつのお話しが深く涙なしでは読めないせいか、
だんだん魔法の言葉のような気がしてきて、
「たったひとつの命」・・・なんて深遠な言葉なんだろうと
しまいには、ひっくりかえってしまいました。
ここにも あすこにも ぜんぶでも ひとつでも 
あ~命はたったひとつしかないんだぁと
思えてきました(超単純)!!!
時間的にも空間的にも私たちは ひとつらなりの命であろうけれど、
ひとつでも ひとつの命で、たくさんでも ひとつの命、
どこをとっても どれだけとっても たったひとつの命だったのかもしれません。
たとえば小さな細胞の一個でも百個でも、
あるいは自分の人生一個でも三千個でも。
心の痛いところ深いところを
自分からも他人からも無批判に無条件で
聞いてもらえる、話すことが出来る、
というのは、
なんてスゴイことなんでしょッ、
ついぉ説教をたれてしまう母となってからは切実にそう思います。
ただそれだけのことが一番むずかしい、
でも、そこから起こる人々の響きあう心の波紋には驚きましたッ。
あるがままを受け入れるという最もスピリチュアルな世界が、
特に案内人や聖人を介することなく(もちろん居てほしいけど)、
ふつーの人どうしの ふつーのことばで、
湖面に波紋を描くようにひろがるんですから!
今まで隠れていたことが外側に ひょいっと出て来るという、
そんなことが あちこちで起こっているような気がします。
そうなることで、わたしたち一人一人が弥勒菩薩になって
いくのかも~(ドキドキ)。

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