竹の皮のおにぎり
子どもたちは、キャンプに行く朝、竹の皮におにぎりを包んで持って行きました。
キャンプのしおりに、「お弁当は捨てられる容器」とありました。
18年くらい前でしょうか、インドを旅行したときのことを思い出します。インドの人々は道端などにポンポンごみを捨て、いたるところゴミだらけなのですが、そのゴミは自然に帰る素材でした。紙の袋やプレスした葉っぱのお皿、ビニールゴミはほとんどありませんでしたね。チャイというお茶を、引き売りの人から買って飲むと、小さな素焼きのコップに入れてくれます。飲み終わると、インドの人達は、そのカップをパリーンと地面に叩き付けて割って捨てます。ゴミ掃除は、低い階層の人たちの大切な賃金労働ということでした・・・
日本はゴミが簡単に捨てられる国ですが、そのゴミの行方も想像しなければ・・・と感じています。
« クリスマス・イブ | トップページ | 版画の年賀状 »
コメント
>おせんべいさん、コメントありがとうございます。
竹の皮やさんのお話し、ほんとうにおどろきました。後になって大切なものに気づいても、伝えてくれる人がいなければ技術は途絶えてしまうのを、親が年老いてきて感じるようになりました。
投稿: ベー助 | 2008年2月 2日 (土) 09時12分
私の実家は、竹の皮やでした。
父は、九州、京都などへ買い付けに行っていました。
職人さんを住み込み、通いで何人も使い皮を加工していました。ほとんどが、肉屋さんで使われていました。
中には、和菓子屋さんが、羊羹を包むのにも使われていました。ちょうど東京オリンピックの頃だったと思いますが、
”皮が汚い”と言う風評が立ち、一挙に廃れて行った事を
いまでも鮮明に覚えています。
父は、”真夏の炎天下に置いてあっても皮にきちんと包まれた梅干入りのおにぎりだったら、決して腐る事は無い。”と悔しそうに言っていました。
その後、何年かして漸く無実無根だと解った時には既に遅くて誰も竹の皮など拾い集めなくなっていました。
まるで、日本昔話のようなお話です。
石油製品で溢れた今を見ていると真綿で自分の首を絞めているようで哀しいです。
投稿: おせんべい | 2008年1月31日 (木) 12時05分