自然と調和した復興を願って
自然と調和した復興を願って
震災で大きな被害を受けられました東北地域の「自然と調和した復興」を願って、岩手・宮城・福島への植物代金を2割引きとさせていただくことにしました。植物の癒しと生命のエネルギーが、広がることを願っています。
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自然と調和した復興を願って
震災で大きな被害を受けられました東北地域の「自然と調和した復興」を願って、岩手・宮城・福島への植物代金を2割引きとさせていただくことにしました。植物の癒しと生命のエネルギーが、広がることを願っています。
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一昨年暮れに、子どもたちと太陽電池パネルを設置し、
子供部屋の電気をまかなっています。
2009年12月29日
自分の家で発電したものを、自給するのを感じられるようにと、
バッテリーに蓄電し使う仕組みにしました。
市から助成が出る太陽光発電の設置は、昼間発電したものを、
東京電力に売る仕組みだけで、
こうした自家蓄電には、助成金がおりません。
震災があるとは予想したわけではありませんが、
今回の計画停電では、この自家蓄電の仕組みが、
心の安心となりました。
(私たちの地域は計画停電の地域外となり、停電にはなりませんでした)
120cm × 50cm のパネル1枚で発電して、
100ワットの電球を点灯して、約2時間くらい持ちます。
その後電球が切れて、エコ電球(21ワット)に代えたので、
測ってはいませんが、さらに長時間点いています。
電気の流れは、下記になります。
太陽電池パネル → コントローラー → バッテリー
→ インバーター → 子供部屋の蛍光灯
コントローラー:バッテリーへの過充電、バッテリーからの過放電を防止する装置
インバーター:直流を交流に変えて、家庭用電気器具で使えるようにする装置
費用は、15万円くらいでした。
原子力発電に代わり、自然エネルギーの取り組みが広がることを願っています。
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2週間くらい前だったか、朝のNHKラジオで、
アメリカ・サクラメントの原子力発電所の住民投票の お話がありました。
今から22年前の 6月6日、住民は、住民投票で、原発の廃炉をきめたそうです。
限られた政治家に任せるのではなく、
自分たちで考えたんですねツ!
この住民投票は、チェルノブイリ原発事故の3年後に行われています。
まさに
「あなたは、どう思いますか?」
ですね。
その決定後、電力を補うために、市民は、いろんな取り組みをしたそうです。
省電力家電の普及(冷蔵庫・エアコン・・)
風力発電、
太陽熱温水器、
太陽光発電(ピーク時の電力消費をへらす)
緑のカーテン(街や家庭での 植樹)
ヘリコプターを飛ばして上空から 電力の漏れているところをチェック
などなどだそうです。
そうして、確か3年後だったか、町並みは、大きく変わったそうです。
福島の方が、植木を注文してくださいました。
「当地方地震で大被害を受けましたが被害は海岸地だけです
私ども海から5キロm、被害はありませんでしたが
原発から北に45㎞の地
これが心配なのですが風評被害には負けません
よろしくお願いいたします」
とのこと。
読みながら、しらずしらず鼻があつくなって涙がにじみでてきます。
(ちなみに、ここ埼玉県川口市は、200㎞くらいです)
地震のある 農業や漁業の地に、原発をつくることはもともと自殺行為だったのだな~と思います。
いままでたくさん原発の危険性を警告をしてくださっていた方がいらしたけれど、
こんなことを 本も映画も見ずに思うのは、情けないことに初めてです。
また、どなたかが、
被災地に食べられるもの売れるものが作れないとしたら、
バイオ燃料(遺伝子組み換えでない)を作ったらどうか、
と話してらっしゃいました。
ほんとに購入することで、被災地を支えていくことができたら、一番うれしいです。
たとえば多額の寄付金も
「自然エネルギー開発基金」として、限定寄付というのもユニークかしら?
今後、被災地でなくても 関係工場で多くの失業がおこるとのこと。
「震災思いやり予算」が出来るといいです。
財源は、米軍基地へ出している「思いやり予算」です(年間1900億円?)。
これも住民投票は、どうかしら。
職種も民族も宗派も党派もこえて、いろんなアイデアを聞いて、
「あなたは どう思いますか?」
復興がとなりの人レベルになるといいですね^^。
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4月1日、中2の息子は、山村留学へと長野県へたびだちました。
伊那郡泰阜村の「だいだらぼっち」です。
布団や、着替え、日用品などもろもろを車につめて、家族で一緒に行き、一泊してきました。
息子は、小6のときは学級崩壊で、中1のときは大人しいクラスで、家庭ではガミガミと
大人から一方的に言われたことを渋々していたようなところがあったので、
だいだらぼっちの いきなり初日夜からの
見事な子供たち主導の話し合いは、
ほんとうに感動ものでした^^。
これから毎晩、年暦、月暦、週暦など予定を決める話し合いがあります。
そこでの、朝づくり(朝めし前の仕事という意味・地域の方言慣習)の仕事分担の話し合いのようすは、
山村留学に行かない私たちにも大いに影響をあたえ、
我が家でもでも早速「朝づくり」制度を導入しました^^。
内容は「生ごみすて、たまごとり、ごみすて、にわはき、ゆかふき等」です。
多数決や親の権限によらない話し合いは、すごく気持ちいいですね^^。
朝飯前に、庭がきれいになるというのも 気持ちいいです^^。
そのだいだらの話し合いで、
翌朝、何時に起きるかという話しのとき、7時と7時半に分かれました。
多数決で決めるのかなと思いきや、
司会の継続2年目の小さな女の子が淡々と「7じが いいとおもうひと、そのりゆうを いってください」。
つぎに7時半の人が理由を言います。そうして「どうしますか?」と、また淡々と司会がきくと、7じと言っていた子も「7時半がいいです」などと、歩み寄ってくれたりします。もし、決まらなければ、2時間でも あるいは翌日に延ばしたりして、決めるそうです。
思えば、「あなたは、どう思う?」ということ少なく育ててきました。
あ~よかった、ここで軌道修正、少しはできるといいな^^、
きのう農文協の方とお会いして息子が山村留学することを話したら、「だいだらぼっち」の単行本が農文協から出るそうで、
偶然の一致にとてもうれしくなりました^^。
だいだらへ車で行くと、七つの山を越えた さらに七つの山の向こうという感がありますが、
最寄りの駅も「田本駅」という無人駅で、日本三大秘境と言われるような駅でした。駅には、大学ノートや書籍まで置かれた小さな本棚があって、旅人がおもいを綴っています。その分厚い本のタイトルを さっぱり忘れてしまいましたが、確か「くらげの ただよう愛」とか何とかいう、もっとおもしろそうな奇妙なタイトルが陳列されていて誰が置いていくんだろう?と、思わず本棚の写真をとってしまいました。
そんなところでしたから、大地震がきたら、山と山にまたいで架けられた橋が壊れ、陸の孤島。すぐにライフラインは経たれ、ヘリコプターでなければ救援に行けないでしょうと思っていたら、泰阜村は、米に野菜、そして源流をそのまま飲めるくらいの地下水浄化の水道水なので、1か月は大丈夫と たまたま話した代表の方のひとりが、自信をもって話されていて、大変驚きました! 災害になると底力のある人がいるけれど、 日本にも底力のある町や村もあるんだな~と、いたく感動です。
20年前、ベー助くんから聞いて、忘れられない言葉だけれど、
これこそ「すもーる いず びゅーてィふる」なのかな。
大きいことはいいことだと誰もがあこがれ、しゃにむに働いていた時代、
どっかの経済学者の方が言われた言葉でしょうか?
災害になると,
救援が来てくれるまでの国や地域や家庭の自給率備蓄率が問われるんですね。なにせ、スーパーからお米や水がなくなり、あたふたしちゃいましたもんね^^。災害の翌日、たとえ放射能がふっても、スーパーに行くより畑に野菜の種をまこうと思いました^^。
備蓄は、タンクに水をためておくのもいいけど、
出来れば川の水をきれいにしておいて、自然界に備蓄しておきたいですね。
大量消費や大量生産指向で、薬害や放射能汚染の危険あるものは、もともと作らないで。
心はひろく大きく、でも、小さく生きることの あるいは中くらいに生きることの大切さを 思いました。
「小さな地域単位で、きれいな川や森や畑や自然エネルギーを確保して、
すべてのいきものに負担のすくない思いやりの町づくりをする。
そんな被災地の復興を みんなと協力します」 というのを 次の祈りの言葉にしたいです。
そして、もうひとつ、遠く小さくても 全国とつながっているようです。「だいだら」では、阪神大震災その他でも被災地の子供たちを受け入れたり、救援活動をしているそうで、被災地は遠くテレビなどは無い生活だけれども、ココより全国世界と じかにつながっているんだな~とおもいました。私たちが行ったときも車を寄付するということで、救援物資を集めていらっしゃいました。翌日、その仕分け作業を子供たちも、お手伝いしたそうです。http://blog.goo.ne.jp/gwshien
宮城県登米市(気仙沼市・南三陸町となり)の本部で、行政から支援のとどきにくい場所や個人に支援をつづけていくそうです。
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