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2014年1月31日 (金)

「ひとりであること」

『100年前の女の子』(講談社)
『グランドファーザー』(徳間書店)

今、読んでいる2冊です。

夜寝る前のひとときに
本を声に出して読むのは大好きです。
子供が 思わぬ反応で笑ったり、
聞き返してくれたりするので、
余計に楽しくなるのです^^。

それでも、子供たちも大きくなってきたし、
読まない日も増えてきました。
が、
ある時、心がカサカサと乾いたかんじで寂しくなり、
あーこれは、もしかしたら、
本を朗読していないせいだなと思いあたり、

また頻繁に朗読がはじまりました。
寒い家なので
皆、ひとつ部屋に寄り添って
冬の夜長を過ごすので、
煙たがられるのを覚悟しているのですが、
意外と楽しげに聞いていたりする子供たちです。


そして、子供が大きくなってからは、
違うジャンルの本を並行して読むようになりました。
並行読み(その日の気分で気の向いた方を読む)は、
思わぬ深まりがうまれて
お・お・お・ぐ・ぐ・ぐ・・・・・・
と、新世界に ひきずりこまれるような、
予期せぬコラボになることもあります。
今回も そんな2冊でした^^。


「100年前の女の子」は、昨日、読み終わりました。
読み始めは、それほどおもしろくなくても
何日もかけて読み進むうちに、
その本の主人公の生きていた100年前の空気が
少しづつ部屋のなか心のなかに広がって濃くなっていくかんじは、
心がぷるぷると うるおっていく ゆったりとした過程です。


「グランドファーザー」は、どの章を読んでも
「100年前の女の子」に流れる空気とは、
違います。
先住民の長老と 日本の農村の女の子の世界ですから、
違って当たり前なのですが、
この二つの世界の一番の違いは、

「ひとりであること」と「みんなと生きること」という
生き方の基点の違いなのかな~と
思ったりしました。


自分自身、日本人としての国民性なのか、
和や協調を 自己の成長の指針にしたことはあっても
「ひとりであること」に意識を向け、指針にしたことは
ただの一度もなかったように思います。
「ひとりのときこそ、ひとは成長する」という言葉を聞いたのも
つい最近です。

なんといっても
国境を越えた
現在のスピリチュアル世界の大道は、
ワンネスであり、
すべての魂は、ひとつらなりの命ですから。
「みんな」という世界観の方が 身近です。

けれども、
『グランドフアーザー』の第5章「一人であること」という響きが、
ここ数日、呪文のように、頭の中を
気持ちよく、駆けめぐっていきます。

そうしてふと思いました、、、
「みんなと生きること」が権力や利権にまかれて、
国粋主義のように全くワンネスとは違う方向へ行ってしまうことも
あるなあ~と。

とすれば、意外に、ワンネスの世界は、
「ひとりであること」の向こうに
広がっているのかも。
ひとりであることと、ワンネスの世界は、
全く違うことのようでいて、
一緒なのかもしれないな~と。。。


 


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