飛騨高山からも・・・国会へ行く!
<デンマークの原発推進から廃止まで>
1973年 エネルギー自給率 数パーセント。(ちなみに日本は15パーセント)
1974年 二大電力会社が、原発建設の基本方針をきめる。
1976年春、政府と国会議員の多数派が 原発建設にゴーサインを出したデンマーク政府でしたが、
1976年夏には、デンマーク政府は、正式に原発利用に関する決定の無期限延期を決め、
1985年春、ついに政府は、原発のないエネルギープランを正式に決定。
1997年 エネルギー自給率100%達成。(さて、日本は?)
1976年の春から夏にかけて何が起こったか?
と不思議になってしまう
このデンマーク政府の大転換。
これは20代の若者が中心になり
環境NGOを設立。
草の根運動を展開していった結果でした。
まず「原発とは何か」という情報収集・勉強会をはじめます。
いっぽう政府は、市民を安心させるためのキャンペーンを開始。
その際に生まれたのが「笑顔の太陽マーク」。
<まずは意見の違うものどうし、対話しながら、
自分たちのエネルギーを選びとろう!>というメッセージを込めたマークです。
結果、対話はひろく浸透。
大臣や委員長にも理解者があり、
補助金やエネルギー冊子も発行される。
しかし冊子の出来上がりに、
怒り心頭した政府は、
原発政策にゴーサイン。
対する環境NGOは、
パンフレットを90万部配布。(デンマーク全戸数210万)
春~夏の6週間に17万人の延期署名を集め、
首相に提出。
その草の根の理解により
原発支持層は、わずか9%になり、
1976年 8/10 政府は無期限延期を決めました。
☆ところで本日、
安保法案反対の国会デモだけでも
12万人が集まったと発表がありました。
ひと・ひと・ひと・・・たくさんの人に感動でした。
けれども、
デモの意義は、
結果はもちろんですが、
市民どうしが学びあい伝えあうスタート地点にしなくていけないのだと
デンマークの話は教えてくれているようです。
『おたがいに、
知ること学ぶこと伝えること
そして そこから
未来をえらぶこと』
国民の3人にひとりは(いや、3人に3人にしよう^^)、
安保法案はどんな法案であるかを知らなくては
いけないな~と。
デンマークのエネルギー政策にかけた
デンマークの人々の熱意に頭がさがります。
「ロラン島のエコ・チャレンジ」[野草社)
<デモのいろいろプラカード>
おなじみ澤地久恵さんと金子とうたさんのプラカードや
傘カード。小雨なので一石二鳥。
おばあさんが持って歩いてらっしゃった寝顔プラカード。
こんなのも^^
そうして本日、
あまりの混雑で、
シールズや有名人や自由の森学園のコンサートや
10名以上の友人にも会えなかったのですが、
中京テレビ同行の
愛知県の高校生たちから取材を受けました。
①何歳ですか?
②どこから来ましたか?
③どうしてデモに参加したのですか?
④学校では、この安保法案の話を先生はおしえてくださいますか?
⑤家では、話しますか?
⑥この法案で、気になる言葉とか もっと知りたいこととかありますか?
<おまけ>
PM5時ころ、日比谷駅方面へ歩いて帰っていたところ、
「飛騨高山」ののぼりを持った方々50名ほどの
行列が、ゆっくりゆっくり歩きながら
これから国会議事堂へ向かうところでした。
ジブリの平成ぽんぽこのアニメを観た後だったので、
もしや、朝からずっと歩いて来られたのではないかと
思ってしまうのでした。。。。。
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