「しぐさは語る」
「・・・まずは、顔をみてください」
自然体験の会のはじまりに、
虫の苦手だったお母さんが、
虫の苦手な子供たちへ向けたメッセージ。
たしか
こんなメッセージでした。
「虫とともだちになろう」という熱いメッセージでした♡
その日、わたしは、子どもが虫をつかまえると、
「どんなかお?」といって、
顔ばかり見ていましたね^^
講師が同じ人間でも、、
それ以上に、
主催者の思いや気持ちが
会の全体の方向を決めるのだと
いたく感動した、
心に残るキョーレツなワンシーンでした。
おもしろかったのは、
子どもがミミズをつかまえて虫カゴに入れていたので、
「お顔みえるかな?」「あれ、ミミズって お顔かお尻かわかんないね」
と言って、
子どもと一緒に虫かごをのぞいていたら、
とつぜんヒュイッと
格子の外に
ミミズが顔を出してくれました。
ミミズの顔は、ふだんは中にもぐっていて
ときどきカタツムリの角のように
ヒュイッとピンクのお顔を出すのです^^
「うわー、お顔がみえたッ」
と大喜びしたことは言うまでもありません♪
きゅうに、
ほんとうにミミズと友だちになったような気がしました!
で、そこで、
自分だったら
虫の苦手な子供たちへ
なんというメッセージを送るかなと
思いあぐねていたとき、
ぐうぜん、この本を読みました。
(ちなみに今日は、講座で、ご本人に会いました。
購入した本に、「しぐさは語る」とサインをしてくださいました^^)
本の冒頭に、
『どんなに外見が変わってしまったとしても、
たったひとつのしぐさのなかに
そのひと固有の「そのひとらしさ」を見つけて、
それが誰であるかを知ることもあります。
子どものしぐさのなかには、
「その子らしさ」が満ちあふれています。』
ちなみに文章のなかの「しぐさ」を○○にして
ベー助に当ててもらったりしましたが^^
「これだッ!」と思いました。
自分にとって
自然界との出会いは、
ずばり「しぐさ」だったのですね。
そのものの「それっぽいしぐさ」を発見したとき、
きゅうに なんとなく
好きになっちゃう^^
じつは幼い頃、
子どもなので目がみえすぎて、
自然界は どことなく怖かった。
皮膚とか刺とか表情とか関節の動きとか、
無機質感とか生々しさ感とかが目の奥の奥にまで、
妙にリアルに迫ってくる!
逆に人間の顔を認知する能力はひくく(今でもそう^^)、
同じ場所で同じ格好で現れてくれないと
区別がつかない^^!
でも大人になって
老眼になってきて、
鈍感にもなって、
ほどよい距離感がうまれると
虫の姿も 人の姿も
あんまり見えなくなってきて、
あるいは程良く見えるようになってきて、
そんなとき、
ふと「生きているしぐさ」に気づいたりすると、
「おー、こいつも生きているんだ!」
と妙に同胞の愛着がうまれてきたものです。
生き物に初めて出会う子供たち、
そしてメデイアが発達した社会ではなおさら、
目の前に生きているものの「生きているしぐさ」を
子どもたちに体感してほしいなあと
願わずにはいられません。
息をひそめる感が、
周囲に溶け込めば溶け込むほど大きくなるイボバッタ!
本人とバッタとの間にのみ流れる真剣勝負ッ
全身アート感がはんぱないアケビコノハ。
成虫の蛾は、カンペキな「木の葉」です。
本人はいたって真面目に化けていても
美しすぎて却って目立ってしまう^^!
つかまえられて、
どんなに絶対絶命のピンチでも
えらそうに見えてしまうカマキリ!
度胸とからだの大きさはカンケーないと身をもって教えてくれる^^
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