輪廻転生の扉
毎朝、口の中をあちこち噛んでしまって痛くて、
病院へ行ったら、
ひどくなると癌や手術が必要になると言われ、
それ以来、ドクダミを口の中の
痛い所に当てて含んだり、
喉の奥を開ける呼吸法とか、
顔の体操をしたりしていたら、
筋肉がついたのか、
やがて噛むこともなくなり、
今は良好なのですが、
帰省した折、
花粉症も肩こりも生理痛も冷え性も白髪もほとんどない
私とは正反対だった高齢の母の
口の難病の症状が進み、
同じような時に
同じような患部に
同じような痛みを抱えて
同じように不安を抱えていたことが
帰省してはっきりわかりました。
やっぱり母娘なんだ、、
変なところが似ていて、
胸がきゅっとなりました、
幼い息子の咳が続いたとき
内観をするといいと言われて、
一晩、内観というか瞑想したとき
どうしたわけか、
「人はどうして
人間となって生まれてくるのか」
という幼い頃の自分の問いがよみがえってきて、
謎解きのように眠りながら迷想していたら、
「失うものがあるから、
失いたくないものがあるから、
学びが深いのだ、
大いなる愛、そして、
自分と深く出会うために
ひとは はかない命をもつ人間となって
生まれてくるんだ」
と朝がた突如、
じぶんの五臓六腑にかちっとハマる答えにたどりつき、
丁度、田舎から遊びに来てくれていた母に
「わかった、わかったよ、ぜったいなおる」
と確信に満ちて宣言していました。
今思うと因果な巡り合わせです。
今ならバシャールなんかも
出来事は反映みたいなこと言ってると思いますが、
だとするなら、
母の病は私に何を伝えてくれているのか、
遠く離れているせいか母を想うと
もらったものは無償の愛すぎて、
冷静ではいられず、
何度も内観して彷徨ってしまいますが、
それだけに
たくさんのたくさんのことを
教えてくれているようで
溢れてくる想いに溺れます。
そんな日々、
おととい全然関係なく
どっかの動画の光の鳳凰の瞑想みたいなのを聴いていて、
いつもは脱線するところ、
どっぷり浸かって光の国まで行って帰ってきて
戻りぎわ寂しくなったら
ついでに、
「いつもあなたを愛しています、
いつも一緒にいます」
と光の私から告白されました。
自分が自分に告白したんで
ウソじゃなくホントで
言葉を使わずに瞬時にわかるっていうのは
この事かと思いました^^;
後から
この感動を忘れないように刻み付けようと
何を学んだのか
ふと心に尋ねると、
「失うものがなくても幸せになれる」
と言いました。
息子のときは
「失うものがあるから学びが深い」
だったのが、
逆攻めじゃないの^^!
失って得る、得て失う
その繰り返しの体験のなかで
学びや幸せを得られるのが
地球の体験でしたが、
失うものがなくても幸せになる、
という深い意思は、
得るものがなくても幸せである、
ということで、
完全に空っぽで完全に満たされているわけで、
つまり
地球的な輪廻転生がなくなること
輪廻転生というのは、
幸せや満足を得るひとつのスタイル、
個人のひとつの選択だったのですね、、
そう思ってしまうと
誰でも知ってた道理だった気がするのですが、
私にとっては、
無償の愛を象徴する母の難病をもってしか
感じることのできない
唯一の扉の向こうでした。
<おまけ>
輪廻転生の扉
マトリックス
お腹のなかに居るのはワタシかな
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